■大連(3)牡丹江△△廠(09/06) 牡丹江△△廠の担当者(副工場長)はZH、担当の女性は 朝鮮族のNJ小姐だったと思います(眼鏡を掛けた細めの割と上品 な女の子でした)。契約時、車が欲しいといわれ、三菱のパジェロを 付けました(代金は設備代金に上乗せ)。 外貿の窓口は黒龍江省機械設備進出口公司で若い男の担当者でしたが (確かZNという名前でした。こいつには恨み1000倍です)。 契約時くどいほどL/Cは問題ないなと念押ししました。11月には絶対に 開くと言いながら結局なかなか開けず、再三PUSHしましたが担当者が 途中から代わり前任者は雲隠れ、其の後当時の科長にPUSHしましたが 「没有銭」の一点張り。 言うことが憎たらしいんです。「工場に何度もPUSHしているがこういう時は 中国人同士の交渉よりも外国人が直接やったほうがプレッシャーが掛かる ので北澤さんが直接牡丹江まで行ってほしい」というんです。 仕方なくハルビン経由真冬(2月)の牡丹江まで行きました(朝4時着の列車。 ハルビンから軟臥がとれず仕方なく3段ベッドの硬臥に乗っていきました。 機械設備公司の経理が北澤さんは外人だから乗ってから車掌に交渉すると 絶対に軟臥が取れるから心配しなくても良いというんです(本人は出張同行せず)。 乗ってから交渉しましたが席が無く結局ハルビン−牡丹江まで9時間硬臥でした (本当に狭いんです。幅、高さとも。何度も落ちそうになりました)。 一人だし寝過ごすと困るので車掌(女性)に牡丹江の手前で起こしてくれと頼んで おきましたが、寝ていると(といっても熟睡はできません。ウツラ、ウツラ)急に 頭がガ〜ンとするんです。何事かとビックリして起きたら車掌が私の枕を引っこ抜 いたんです。「何をするんや!」と怒鳴りつけましたが、車掌はすました顔で、 これが「目覚ましの方法」だと言っていました。こんなことされたら誰でもいっぺん に目が覚めますよね(頭に来ましたが、まぁ寝過ごさない為にやってくれたんだと 言い聞かせました)。 駅を降りると真っ暗、雪が1mほど積もっています。そこから出迎えの車で牡丹江 賓館へ。仮眠してから、仕事開始。工場に行っても金が無いの一点張りで埒が あかないことは目に見えているので、取引銀行の工商銀行xxx支行へ。それまで にも何度か大連から電話でPUSHしていたんですが、銀行の担当者曰く工場に金を 貸す為に設備価格を5%引けと言うんです。「アホ言うな。設備はとっくに出来てい るし、保管料も掛かっている。逆に5%値上げして欲しい」とカウンターし平行線。責任者 曰く「あんたほんまに日本人か?」。当時は今と違い銀行に直接交渉するようなこと は出来ませんでした。 帰路ハルビンで中国銀行黒龍江省分行に飛び込みで入り(事前に電話番号帳で番号 をしらべアポイント)、数ヶ月以内に牡丹江△△廠向け設備のL/Cが機械設備 輸出入公司から申請してくると思うので其のときは宜しく頼むととカレンダーを渡し て頼んできました。其の後この中国銀行の経理は飛込みで行ったにもかかわらず 本当によくしてくれました。当時FAXみたいな気の利いたものは有りませんし長距離 電話も繋がらないので通常の連絡は皆TELEXです。「何時申請が上がってきたとか、L/C NO.は何番だとか、APPLICATIONの内容」を連絡してきてくれました。 日本側がL/Cの顔もまだ見ていないのにどうしてL/C NO.が判るんやとビックリ していました。 この頃から中国向けの輸出契約のL/C開設が滞り始めました。人民元レートも確か ¥50/元ぐらいから¥28/元ぐらいまで一挙に下がりました。海南島の開発資金 (国家資金)が海南島の指導者により乗用車やカラーテレビの輸入(倒売買)に使われ てしまい、外貨が極端に不足したことが主原因です。中国人に仕事の権限は与えても 「金の権限」は絶対に与えてはいけません(今でも)。「命取り」になりかねません。 この頃から瀋陽や武漢などで「破産法」が施行され、「工場長責任制」なるものの導入 が始まりました(共産党の経営への干渉を排除)。大連駐在の後半はL/CのPUSH が仕事の大半を占めるようになりました。ほんまに色んな事をやりました。この頃大連 技術輸入公司の経理から教えてもらった成語は今でも忘れません「夜長夢多」。 昔のことを思い出しながら書いているとついつい長くなってしまいました。 |